ベビーサインで広がる世界
先日息子の水泳教室で、待っている間娘(13ヶ月)とベビーサインで会話をしていました。それを偶然見ていたインストラクターの若い女の子が、終了後私のところへやってきて「息子さんのお父さんは聾唖者なんですか?」と聞くので、違うけれどどうしたのと聞きなおすと、「私の両親は聾唖者なんですよ。ですから、あなたがサインを使っているのを見てフシギに思って・・・」。
私は思わぬ展開に少し驚きながらも、「娘はバイリンガルなので、言葉がわかりやすいようにベビーサインを教えているんですよ。」と答えました。彼女の返答は「クール」でした。私は彼女が好意的に受けとめてくれたことに、安堵感を覚えました。
聾唖者の人から見て、ベビーサイン(といっても私がするのは、アメリカの手話、ASLです)を聾唖者でない人間同士がすることについて どう思うのだろう、と前々から考えていました。
インストラクターの女の子自身は聾唖者ではないものの、彼女の生活には手話は欠かせないものだと思います。そんな彼女が好意的に受け止めてくれたことで、私はなんとなくベビーサインというのは、赤ちゃんと赤ちゃんに接する人たちだけのものではないことを改めて感じることができました。
ベビーサインを始めた当初、ジェスチャー的なものと本当の手話を使ったベビーサインがあることを知りました。そして、私たちは手話を選びました。将来的に子供が本当の手話を通して、自分とは異なる他者へ差別や偏見を持つことなく、接してもらいたいと願ったからです。
いまでは、わからない単語は思いつきでジェスチャーのように伝えてしまうこともありますが、なるべく手話の辞書を見たりして親である私自身も他者への理解ができるよう努めたいと思っています。
もちろん、赤ちゃんは5年後10年後にベビーサインを覚えていないかもしれません。 でも、言葉を話し始めるまでの習慣として行っているベビーサインは、きっと子供の中によい種を撒いていると思います。






















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